シュレティンガーの猫 Ⅱ

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不確定性原理

でも シュレティンガーの猫って

何が問題なんだろう?

猫が死んでいるか

生きているかなんて言うのは

量子力学にどう関係するんだろう?

不確定性原理っていうのを

思い出してもらおう

量子はその位置と運動量を

確定させることができないって

ものだったよね

位置が決まれば

運動量はそれこそ無限の世界で

その値がばらついてしまうし

運動量が決まれば

位置は同じく無限の世界の

どこかにあることになっちゃうっていう

量子の世界が持つ

厄介な点を

ハイゼンベルグさんが

まとめた原理

Δx・Δp=h

Δは不確定さを表す記号

xは位置

pは運動量

hはプランク定数

こんな数式を使わなくても

位置の不確かさと

運動量の不確かさの積は

プランク定数になるよってこと

位置xが一点に決められると

Δxは0になっちゃう

そうすると
0×Δp=hを満たす

Δpは無限大になっちゃう

だから量子の実体は

確率でしか存在しない

幽霊みたいなものか

もしくはそれこそ無限の状態が

重ね合わされているってことになるよね

コペンハーゲン解釈では

量子っていうのは

波動関数の波が

多重に重ねあっている

ということを主張していたんだ

もっともこの重ね合わせっていうのは

量子力学の本質でも

あるかもしれないんだけど

猫の波紋

量子は状態の重ね合わせだってことは

ぼくの常識ではついて行けないけど

積み重ねられた実験・観測・考察の結果

出て来た答えなんだから

素人が口をはさむ余地が

無いみたいだね

それでも問題があるみたい

しつこく書いていた

『観測』の結果が

量子の位置は確定しているって

訳の分からないことになっちゃった

量子というと語弊があるけど

粒子としては観測すれば

一点に決まっちゃうってことだね

波動関数の形は

時間が経つごとに

変化していく

なんといっても方程式

入力する数値が変われば

答えも違ってくるんだから

あたりまえ

その変化していく波動関数は

これまでの物理学で考えれば

幾つか(2つ以上)の状態が

重なり合っている状態を

指してしまうことがあるそうだ

(この辺りが因果律の崩壊かも)

ぼくたちが理解できようが出来なかろうが

理論的におかしかろうが

そんなもんだから

しかたがないっていうのは

本当にしかたがないよね

ところが粒子を観測すると

状態はひとつに

決まっちゃう

この矛盾()を解決するために

なんとかひねり出した理屈のひとつが

コペンハーゲン解釈の

『波束の収縮』ってことなんだ

自然界は じつは多くの可能性が

(確率で語られる部分だね)

重ねあわされているものだけど

それを観測した瞬間に

一つの確定した事象に

なっちゃうって考えかた

これまたミクロの世界では

粒子が粒子性と波動性を

併せ持つって考えと同じように

ぼくの頭のなかは(???)

飛び交うってことになるわけだ

シュレティンガーの主張

シュレティンガーさんが思考実験で

どうして猫を殺そうとしたのか?

(誤解を招く書き方だね。

猫に恨みを持っていたわけじゃないと思うよ

ただぼくにとって不思議なのはどうして猫だったのかな?

ってところ

犬でもネズミでもよかったのにね)

唐突に猫の実験が出てくると

わかりにくいよね

量子力学(コペンハーゲン解釈)の

要点をもう一度書いておくよ

自然界(量子の世界でもいいけど)は

幾多の状況の重ね合わせ

そして観測するとその結果は

一つの状態に収斂するってことだね

それは逆に言えば

観測するまでは

状態というものはわからない

観測の直前まで

多くの状態のかさね合わせだ

ってことなんだ

シュレティンガー方程式

(波動方程式)を発表して

粒子の位置や運動量を確率的に

導く方程式を作った

シュレティンガーさんだけど

観測するまで状態が

確定しないってことに

(コペンハーゲン解釈に)

賛同できなかったというのが

本心だったんだと思うんだ

そこで出したのが猫の命題

確率が50%・50%の

猫の生死が観測した時点まで

わからないってことは

無いはずだって主張

観測(ふたを開けて見る)

しようがしなかろうが

猫が死んでいる場合は死んでいるし

生きている時は生きてるじゃないの

ってことだね

それを量子力学の人々は

観測するまで

生きている猫と

死んでいる猫が

重ね合わせた状態でいるって

主張しているんだよ

これっておかしいはなしじゃない?
って言いたかったらしいんだ


言い換えればコペンハーゲン解釈に対する

反論だったわけだよ

当時はこうした思考実験で

議論するのが当然だったみたいだから

それに対してコペンハーゲン解釈論者からは

「こうした考え方が

(観測するまでは生きている猫と死んでいる猫という

ふたつの状態の猫が重なり合っている)

間違っているのか正しいのかという確かめる

(それこそ観測だね)

手段を持たない

だから じっさいそういう考え方をしたとしても

なんの矛盾も起きない」

っていう反論が出て来たんだ

この水掛け論

やはり結論の出しようがない論争に

発展していったそうだ

そして いつのまにか

量子力学(コペンハーゲン解釈)のおかしいところを

証明しようとして導き出された『猫の実験』が

ある意味コペンハーゲン解釈の考えかたの

規範のような扱いを受けているんだから

困ったもんだ

シュレティンガーさん

どうも論争するのに疲れちゃったみたい

これ以降

物理学から手を引いて

生物学の研究に転向したとも

言われているぐらいだもんね

「物理学なんてやるんじゃなかった」って

言ったとか言わなかったとか

それでも生物学でも活躍したって

やはり天才は違うんだな

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